涌谷神社ご案内

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歴史と由来

当社ご祭神、涌谷伊達氏(亘理)4代の館主、
伊達安芸宗重公を中心として繰り広げられる、大要の歴史。

鎮座地 宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町7
祭 神 赤心猛雄命(伊達安芸宗重公)
配 祀 応神天皇
例 祭 4月27日

 江戸時代初期、伊達安芸宗重公は仙台藩一門、涌谷伊達(亘理)氏第4代の館主として当地を治めていました。2万3千石を領し、治世20年文武を励み野谷地の開発に力を尽くし産業の復興につとめた名君です。
 その館主宗重公の徳を追慕し、明治7年12月官許を得て、宗重公の御霊を祀る神号を「赤心猛雄命」と称し、旧館址に神社を建立し、その御霊を奉祀いたしました。

 宗重公は寛文事件(伊達家のお家騒動)の中心人物で、仙台藩62万石の安泰を期した大人物です。
 寛文年中、藩主綱村公が幼少の為、後見伊達兵部宗勝の独裁的権力の支配下にありました。悪人はびこる後見政治の打倒をはかりましたが、寛文11年(1671年)3月27日、大老酒井忠清屋敷の裁判において、乱心した家老原田甲斐に斬殺されました。享年57歳でした。
 延宝2年(1674年)3月27日、藩主伊達綱基(のち綱村に改名)公の筆「尽忠見龍院」を、宗重公のお墓である廟の額とするよう嫡子(息子)の宗元に贈り、父の忠節を賞しました。
 大正9年(1920年)、旧物見台(旧涌谷城本丸跡)に神明造の新社殿が竣工し、今日に至ります。

 寛文事件(伊達家のお家騒動)

 江戸時代初期、伊達安芸宗重公は父定宗の後をうけ、仙台藩の長老として重きをなし、徳川家綱が将軍に任ぜられとき、藩主伊達忠宗に代わって江戸城に登り、また万治3年(1660)8月亀千代(のちの伊達綱基(その後、綱村と改名))が、家督相続のときも、藩を代表して江戸に登りました。

寛文9年(1669)

 亀千代君は11歳で元服し綱基と名乗りました。当時の仙台藩は後見伊達兵部宗勝(正宗の末子)の独裁的権力の支配下にありました。同役田村右京宗良(綱宗の兄)は病気を理由に引きこもり、家老柴田外記、古内志摩の二人と原田甲斐とは不和でありました。兵部は原田甲斐と結んで権勢をほしいままにし、奥山大学、里見十左衛門や伊東七十郎らの反対派を失脚あるいは斬罪にしました。
 殊に渡辺金兵衛、今村善太夫らは兵部の手先となって警察政治を行ない専横を極めました。告発と刑罰が絶えないので人心が動揺し伊達家の運命は危機にひんしていました。伊達安芸が後に幕府に差出した仙台罪人の数は120人にのぼっています。
 寛文年中は藩内各地で野谷地の開墾が盛んで伊達安芸領遠田郡二郷谷地につき、登米伊達式部との間に谷地(やち)の境界争論がおきました。式部が藩に訴えたので安芸は応じていましたが、9年6月安芸の譲歩によって一たんは事が納まりました。 ところが同年夏に二郷谷地の分割のとき検使の今村善太夫、横山弥次右衛門らは、意図的に安芸を不利にしたので問題が再燃して大きくなりました。

寛文10年(1670)

 安芸は谷地分割に依枯ひいきを働いた不正役人を取調べるように藩に要求したが兵部はこれを無視し、逆に近縁の立花忠茂(柳川藩主)や大老酒井忠清を後盾に、安芸を押しつぶそうとしました。この年の10月、兵部は事件が老中の耳に達していると申次の名で告げ、要求をしりぞけようとしました。安芸は幼君のため、今のうちに兵部の独裁政治を打破しなければ、伊達家の運命にかかわると深く憂え、上訴を決心し、谷地配分の不正を証拠としました。
 11月、安芸は仙台目付に兵部の失政を訴え出ました。 一方江戸には涌谷圓同寺(見龍寺)の石水和尚や家来亘理蔵人らを次々に登らせ、老中板倉重矩らに事情を内々に通し、旗本松平隼人正(水沢伊達宗景のしゅうと)らの援助により保科正之(前に将軍輔佐、会津藩主)らに実情を内報して、幕府の公正な判断を期待しました。また後見の田村右京方と結び、幼君側近の護守(だきもり)役や藩士の有志と連携しました。
 かくして12月、安芸は申次の島田守政(江戸町奉行)らに上訴の主旨を通報することができました。

寛文11年(1671)

 2月、安芸は幕府の召により江戸に登りました。時に年は57。供勢260名でありました。3月4日板倉重矩の屋敷に呼ばれて同役土屋数直ともども訴意を問われました。
 3月27日、大老酒井忠清の屋敷に老中が会し、安芸、外記、甲斐、志摩の順に呼ばれて尋問が行なわれました。安芸の主張が認められ、甲斐は非に決しました。突然、その場で甲斐の匁傷事件が起り、安芸は甲斐に斬られて果てました。甲斐は外記、蜂谷六左衛門に殺されたましたが、二人も命をおとしました。
 4月3日伊逹兵部は土佐に流され田村隠岐(右京)も閉門を命ぜられました。次いで藩主伊逹綱基は領地の安堵が命ぜられました。ここにいわゆる寛文事件は落着しました。

社 殿本殿 神明造2坪8合   幣殿 3坪1合   拝殿 神明造14坪45
神 職宮司 一條明美、禰宜 一條裕太郎