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緑濃い箟岳山系の麓、江合川の清流が大地を潤す涌谷町は、豊かな自然に恵まれた古い歴史を持つ町です。町の北東、長根丘陵には国指定史跡の長根貝塚があります。縄文の時代からこの地に人間が住んでいた証かしです。また、天平21年(749)には、涌谷町から日本で初めての金が産出し、奈良東大寺の大仏造営の際にはこの金を献上しました。
大伴家持が『すめろきの御代栄えむと東なるみちのく山に金花咲く』と詠んだのは、まさにこの地を指してのことであり、万葉集におさめられた歌の中では最北の地です。
近世に入ってからは、伊達騒動(寛文事件)の中心人物として名高い伊達安芸宗重公の城下町として栄えました。
大正、昭和初期には交通の要所として大崎地方の物流の中心地となり、繭(まゆ)や穀類の集産地としてにぎわい、昭和30年、涌谷町と箟岳村が合併して現在の涌谷町が誕生しました。